ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
震災ボランティア支援

ご紹介


「震災ボランティア支援つくり」について
このたびの東日本震災発生から4か月以上経ちますが、未だ被災地では避難生活や不自由な生活を余儀なくされている被災者の方々が多くおられます。

この暑さと様々な匂いに圧倒されながらも、被災地では復興の槌音が彼方此方から聞こえ、被災された方が健気に頑張っているとお聞きしております。

このような状況下、RSSCの仲間でも既に現地に入りボランティア活動をされている方、物資を送ったり、避難所への食事サービスの手伝いをされている方もおり、頭の下がる思いですが個人の力では限界があるやに伺っております。

 
一方、被災地での要望も刻々変化しており、昨今のニュース等で支援物資のミスマッチや義捐金が被災地になかなか届かない等を考えると、個人に出来る支援の在り方、難しさを考えさせられます。

このような中で比較的時間の余裕のある我々RSSCの仲間で出来ることがあるのではないか、体力は若干落ちているもののまだまだ知恵と今まで培ってきたネットワークがあるのではないかと考えます。

 
そこで、RSSC同窓会としては、被災された方々やボランティアの方々への後方支援を考えておりますので、①ボランティアをされた方の活動内容、②同窓会の支援活動についてのご意見、 ③支援に係る情報等何でも結構ですのでお知らせいただけたら幸いに存じます。

皆さまからのご意見や情報は、下記同窓会役員にメール等でご一報くださいますようよろしくお願い申し上げます。

 
  連絡先 1期生・rssc2008@rssc-dsk.jp
      2期生・rssc2009@rssc-dsk.jp
      3期生・rssc2010@rssc-dsk.jp


                              2011-07-21 RSSC同窓会 会長 御守陽治


活動報告など

東日本大震災復」虎舞見学

RSSC同窓会震災支援プロジェクト

2014年11月8日~24日まで「 東日本大震災復
」として地福寺出開帳が両国回向院で行われされた。津波で大きな被害を受けた気仙沼市波路上地区。住職に背負われ津波から逃れたお地蔵さんの出開帳であり、多くの人で賑わっていた。我々が長く支援をさせていただいている気仙沼の方たちが伝統芸能である「虎舞」を披露されるとのことで3名が見学応援に駆けつけた。

実は、この虎舞で演奏される太鼓のうち大太鼓のみ無事で他の太鼓は全て波に飲み込まれてしまったが、各地から太鼓の支援をいただき伝統芸能が復活できたとのこと。しかしながら太鼓を打つ方たちは被災して今も自宅がなく、更に子供とお母さんが犠牲になった方、奥様とご両親を亡くされたりと・・・まだまだ悲しい思いで過ごされている。それでも伝統芸能が津波で途切れることはなく、この日も力強い演奏を聞かせてくださった。
支援を通して知り合った方たちにも短い時間であったが、言葉を交わすことができ、元気でおられることが確認できた。
はまだ道半ばです。これからも被災地に思いを馳せ、心を寄せていけたらと願っています。


      (小杉:記)




「震災支援プロジェクト」からのご報告
                       2014年3月5日

「震災支援プロジェクトからのご報告」

                                     RSSC同窓会 震災支援プロジェクト
                                報告者 小杉弘江(2期生)
 

東日本大震災の日から間もなく3年目を迎えようとしています。
新たな生き方を目指しRSSCで学んだ一員としてこの未曾有の大震災に対し、果たして何ができるだろうかと考え思い切って支援の呼掛けをさせていただきましたところ、同窓会の皆様から多大なご協力とご支援をいただき、下記のとおり支援活動をすることができました。
また、異文化研究会、二期の会修了礼拝の集い、バザー、会員個人(ご家族、ご友人も)の皆様からお寄せいただいたご寄付は、支援物資の購入や発送経費及び講演会開催に係る経費等に大切に使わせていただきました。本当に有難うございました。
つきましては、この節目の時に同窓会の皆様に改めてお礼を申し上げるとともに、3年間の活動についての報告をさせていただきます。

                     記
1.支援物資の送付
同窓会会員やご家族更にご友人等から季節ごとにたくさんの良質な衣類他生活用品をお寄せいただき、冬物だけでも千点を超える衣類を気仙沼市を中心に大槌町などの仮設住宅の皆様にお送りし、大変喜んでいただきました。

2.被災地訪問活動
被災された方たちから直接話をお聞きするために被災地や被災地支援の活動拠点を訪問しました。また会員の個人的な活動としてお茶会・手芸の会等の開催もありました。
 ・2011年:宮城県(仙台市、気仙沼市)、岩手県(大槌町)
 ・2012年:宮城県(気仙沼市)、岩手県(大槌町、釜石市)
 ・2013年:福島県(田村市)、岩手県(大槌町、釜石市)
 ・2014年:宮城県(仙台市)

3.公開講演会の開催
◆「震災遺児支援のためのチャリティ講演会」(二期の会・ウィメンズクラブ共催)
『正しく知ろうー放射線の人体影響』 
義捐金は、震災で親を亡くした子供たちのための施設「あしなが育英会東北レインボーハウス建設」のための資金に全額寄付をしました。
◆「被災された小野寺敬子さんの講演会」(震災支援プロジェクト・ウィメンズクラブ共催)
小野寺さんは大津波で家、家財の一切が流され、更に父親、愛犬も亡くされました。
気仙沼市内の仮設住宅に暮らしながら、愛犬と父親を主人公にした絵本『そばにいるよ』を出版、東北放送でも取り上げられ大変反響を呼んだとのことです。絵本の販売も兼ねて、自らの被災の体験を語っていただきましたが、「深く感動した」、「考えさせられた」等参加者からの声。また小野寺さんからも「震災の記憶をずっと伝えていきたい」と講演の機会に感謝のコメントをいただきました。

4.バザーの実施
立教大学校友会主催のホームカミングディの開催に合わせ、2010年度よりバザーが実施されていますが、
・2011年度の売上金は気仙沼市の流された保育所へお送りしました。
・2012年度は気仙沼の被災した水産加工会社のわかめ、大槌町の仮設住宅の手作り品も販売し「あしなが育英会東北レインボーハウス建設」のための資金に寄付をしました。
・2013年度はバザーの実施が見送られたので、震災支援プロジェクト単独で引き続き「あしなが育英会東北レインボーハウス建設」のための資金に寄付をしました。(2014年3月1日仙台レインボーハウス竣工、今年中に石巻と陸前高田も竣工予定)

5.その他
 被災地で闘病中の方へのお見舞、被災後保健師を目指し他県で勉学中の方へ「励ます会」等もさせていただきましたが、他に同窓会の皆様が「自分にできる社会貢献」として個別に其々の場で支援をしてくださった活動の一端もご紹介します。
・ボランティア活動=震災当初、各地から避難してきた方が集まる近隣の集会所や学校 での炊き出しや荷物運搬などの手伝いや、また遠野まごころネットを通じてのボランティア活動を続けている会員もあり。
・直接支援=原発からの避難者のために支援物資を車に積み郡山まで行き配布
・寄付=日赤等への現金の寄付(多数の方)
・義捐金=被災地の復興支援活動にとご自身の「絵画展」を企画、多額の義捐金をご寄付くださった。
⇒気仙沼の流された保育所にご希望の品々をお送りした。
・編み物=同窓会の皆様にマフラーを編んでいただきお送りした。(仙台市、気仙沼市、大槌町、相馬市等へ198本)
・おもちゃ、文房具類、お菓子、果物などの送付=流された保育所、仮設住宅集会所等
・蠅取りリボン=夏場に大量発生した蠅の駆除のためお送りした。
・福島支援=「東北コミュニティの未来・志縁プロジェクト」の活動に関わっている会員が相馬市、南相馬市、飯舘村に入り、一番困難な福島の支援活動に尽力。
・スタディツアー=NPO法人「元気になろう福島」のスタディツアーに参加し、福島県内復興まちづくりの現場(被災農家、仮設住宅)での懇談会実施
・絵本の販売=福島の小学生が、3.11を綴った画文集『子供たちの3.11 ふるさとはフクシマ』を同窓会懇親会で販売した。
・講演会への参加=東日本大震災に係る講演会への参加及び物販のお手伝い
・花や野菜の種の送付=大槌町の仮設住宅の方たちの手作り農園にお送りした。
・ゴルフコンペの開催=RSSCのゴルフコンペを福島県内で開催した。
・東北地方へ観光して被災地の語り部ツアーに参加  等々

6.最後に
震災発生から直ぐに、日本国内はもとより世界中から被災地へ支援物資が送られてきました。あれから3年が経過し、物の支援という活動は大方終息しつつありますが、新たな課題として被災地の自立的な経済復興という大きな問題があります。
堤防建設や土地のかさ上げ等行政が絡むことには関わることができませんが、例えば観光等で被災地方面にでかけることや、また被災地の生産物を購入することでも大きな経済支援になるのではないかと思われます。
RSSCで学んだことにより、広く社会に目を向け、また仲間を募り、ささやかですが震災支援の活動をすることができました。これからも我々にできる活動を見つけ、被災地の皆様のことを忘れないで、心を寄せていきたいと思っています。
RSSC同窓会における3年間の震災支援活動を総括し、また皆様のご協力とご支援に感謝して、震災支援のご報告とさせていただきます。有難うございました。

                              RSSC同窓会 「震災支援プロジェクト」一同
                            

キッズROOM おひさま」新園舎完成のお祝いのご報告
2012年10月18日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
報告者 小杉弘江(2期生)
7月23日付「津波と大火災の被災地気仙沼を再び訪ねて」でご報告のように、新園舎完成のお祝いを贈りまして、おひさまより礼状が届きましたので報告します。

9月に気仙沼プロジェクト内で検討して、現地の要望に応えお祝い金を贈り、現地で必要な物を購入して頂きました。この度おひさまから形に残るものとして、「赤いポスト」と「シューズケース」を購入しましたと連絡がありました。新園舎内の施設が段々整いつつあり、子供たちも大喜びで、皆様の応援、ご支援に心より感いたしますとの礼状です。


      <新しい木の香りに満ちた園舎とこどもたち>
   
◆RSSCが支援させていただいたポストとシューズBOX◆
<郵便屋さんもお気に入りのポスト>
<ぴかぴかシューズBOX>

また、別にご希望のあったクラス分け表示用の「めだか組」と「いるか組」の看板もボランティアで作ってくださる方があり、併せてお送りすることができました。


昨年からの皆様のご支援・ご協力に心からお礼申し上げます。有難うございました!

◆おひさまの代表の方から皆様へのお礼状です◆


RSSCの皆様へ

前略、10月に入った途端寒くなり先日までの暑さがうそのようです。 暑ければ「暑い、暑い」とわがままなものですね。

6日に『第1回おひさま大運動会』を行いました。狭い園庭ですので、お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんのたくさんのギャラリーで溢れました。お天気も良く、午後からは、支援イベントでポケモンワゴンが来園、ピカチュウも来てくれて大騒ぎ、昼食は総勢100人分の豚汁を作り、みんなで食べました。お陰さまで順調なおひさまです。

これから寒さに向かいますが、新しい園舎では隙間風もなく、暖かく過ごせそうです。

皆様から頂戴しましたご支援は形に残るものをと思い、「赤いポスト」と「シューズケース」を購入させていただきました。毎日の申し込みで現在50人、来年4月には60人で新学期のスタートです。

これも、皆様の応援のお陰で施設が整い、安心、安全な環境で保育ができるようになったからです。皆様の応援、ご支援に心より感謝いたします。おひさまパワー全開で今日も皆元気です!

寒くなりました。皆様お体大切に・・・・・・

                 「キッズROOM おひさま」 代表 里見栄美

津波と大火災の被災地「気仙沼」を再び訪ねて
訪問日 2012年7月23日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
報告者 山田利之(2期生)

あの忌まわしい昨年の3月11日の被災から16カ月経ちました。昨年9月に震災後の気仙沼を訪れましたが、それから10カ月後の今年7月23日にRSSC2期生の4名(深野・小杉・北澤・山田)で再び気仙沼を訪ねました。
昨年の9月以来、我々RSSC同窓会・気仙沼支援プロジェクトのメンバーは、キッズルーム「おひさま」と階上中学校仮設住宅に、衣類や子供用品などの直接支援を行なってきました。今回の訪問の目的は、キッズルーム「おひさま」新建屋の開園のお祝いと「我々の今後の支援はどうあるべきか」を決める為に直接現地を見て現地の方のお話を伺う事でした。

① 現地報告(昨年9月からの変化)
気仙沼の港周辺の状況は、昨年の9月に訪問した時と余り変わらない状況です。昨年の9月にはあちらこちらに津波と火災の傷跡が残り、海水と土の埃だらけでしたが、既に16カ月も経つのに相変わらず廃墟の建物は多数残り、今でも震災のシンボルとなっている大きな船が、陸地にそのままあり、倒れないように支えがしてありました。船の下には押し潰された車の残骸を見ることができました。大きな変化は瓦礫が片づけられ、道路がきれいに整備されていました。


港には多くの漁船が停泊し、漁業が再開されていました。また少しずつですが、お店や事務所が活動を開始してきており、活動の息吹を感じることができます。目立ったのは復興事業関係者の簡易宿泊施設や、彼ら相手のプレハブ屋台の飲み屋街です。今回その飲み屋街の一軒である、イタリアン居酒屋で我々4名とキッズルーム「おひさま」の代表の里見栄美さんと階上中学校仮設住宅にお住いの方とご一緒にランチをいただきました。イタリアン居酒屋の店主は港近くのビルでイタリアンレストランを経営されておられたそうですが、津波ですべてを失い、今回やっとこのイタリアン居酒屋を再開することが出来たそうです。我々が訪れた日は閉店日にもかかわらず、我々のためにオープンしてくださり、安くておいしいランチをいただくことができました。感謝・・・・

② 階上中学校仮設住宅のお話
我がRSSC気仙沼プロジェクトが送った支援物資(衣料など)は質が良いので、住民皆様が快く受け取られ、すぐに在庫が無くなったそうです。ただ他所から送られた質の悪いものは住民の皆様は手を出されないので、未だ集会所に置いてあるそうです。気仙沼支援プロジェクトの支援については非常に感謝されているとのことでした。ありがたいことです・・・・・・・
ただ仮設住宅の一部の住民の方には未だに支援物資を期待される依存心の高い方がおられるそうです。今後の支援をどうするか考えさせられます。
さて現在仮設住宅で問題になっているのは、老いた一人身の男性達で、女性達は集会所で編み物をしたり、NPOに提供する商品を作ったり、積極的に参加され元気で頑張っておられますが、男性達は参加せず、仮設住宅に籠ってばかりいるそうです。男性としては身につまされる話です。また仮設住宅の住民は出身地域がバラバラのため、やはり住民間のコミュニケーションが大変で問題があるとのことです。仮設住宅では建屋だけでなく、人間関係でも悩みがあり、本当に大変な状況だろうと思われます。

③ 株式会社「かわむら」訪問
今年10月21日のホームカミングディに、RSSC同窓会としてバザー出店をします。その実行委員会のメンバーである深野・小杉・北澤さんの3名がバザーに出品できるような何か東北支援となる物がないかを探していた所、地元の小野寺恵子さんから紹介をいただき、「かわむら」を訪問しました。

三陸産の特上品の生ワカメ・生コンブなどは既に生産が再開されており、すばらしいものがありました。是非ホームカミングディに来ていただき、東北支援ということでご購入いただきたいと思います。実際にテイストしてみましたが、美味しくてまた値段もリーズナブルです。ご支援よろしくお願いします。

④ キッズルーム「おひさま」を訪ねて
昨年9月に訪問した仮設保育園の場所から50m離れた田んぼの横にすばらしい新築の建物が建っていました。屋根には大きな「おひさま」の看板があり、庭も広く、子供たちが元気で遊んでいました。昨年の訪問時には、仮設のため、子供たちには遊びもなく、我々に人懐こく寄ってきましたが、現在は園内が広く、遊び場にこと欠かないので、我々に寄ってくることもなく、子供達は元気で遊んでいました。

建屋は山形の建築会社からの寄付で建てられ、内部の施設や備品も多くは善意の寄付によるものとのことです。我々が以前寄付したコートラックなどもありました。新建屋での開園のお祝いとして、何か適当なもの・欲しいものはないかをお尋ねしたところ、開園直後で忙しく8月中旬頃までにご希望のものをご連絡してくださるとのことでした。 次回はその内容をご報告します。

最後に今回我々4人の訪問に移動手段や人・場所の手配をしていただいた弁護士事務所の小野寺恵子さんに心から感謝を申し上げます。そして今回の訪問でお会いした方々の目が、昨年9月の時と比べて生き生きと輝き、頑張っておられる様子を拝見できたことが最高の喜びであったことは言うまでもありません。

気仙沼「春物・夏物衣類」支援のお礼が届きました
2012年5月25日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生)
去る4月27日に気仙沼階上中学校住宅に「春物・夏物衣類」を送りましたが、下記の礼状と写真等が届きましたので報告します。お便りでは仮設住宅にお住いの100所帯、270人の方々に公平に配られたとのことで良かったです。
今回も同窓会のみなさまから沢山の温かいご支援を頂き、ラウンジにお持ち頂いた方、宅急便で送って頂いた方、本当に有難うございました。昨年冬物を送ったのに続き沢山の支援が寄せられ、宅急便大型段ボール22箱を送りました。又会員有志から暖かい寄付金も寄せられ、特に4期生の納涼パーティー委員会、合同ゼミ懇親会委員会、修了パーティー委員会、クリスマスパーティー委員会からの寄付は今回使わせて頂きましたので、この場を借りましてお礼申し上げます。改めてみなさまのご協力に感謝申し上げます。

気仙沼階上中学校住宅自治会長菊田様からの礼状です。


立教セカンドステージ大学同窓会のみなさま
ようやく暖かくなって参りました今日この頃です。気仙沼の方も20度を越えることもあります。4月30日届きました春物・夏物・子供衣類は連休がありまして5月7日に遅れましたが配布致しました。日中は仕事で居ない方もおりますので、夜7時から始め、9時過ぎまで掛かりました。住宅の方々も暖かくなるのが待ち遠しかったのか、春物・夏物は短時間で無くなり、これからの季節衣類を心配することなく、大変助かると言っておりました。
立教セカンドステージ大学の方々には、昨年から今回まで1年を通して四季の衣類を沢山頂き、仮設の方々は大変感謝しております。立教セカンドステージ大学、及び支援して下さった方々に宜しくお伝え下さい。今回礼状を送りますのが大変遅れましたことをお詫び申し上げます。今日(5月24日)写真が届きましたのでお送りします。又物資の配布を仮設の皆さんに知らせたパンフも同封しましたので見て下さい。今回もご支援頂きまし誠にありがとうございました。
配布の写真はこちら
                            2012年5月24日
                              菊田敏明

気仙沼仮設住宅からお礼の手紙と飾り物が届きました
2012年4月8日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生)
立教セカンドステージ大学の皆様

いつも御支援ありがとうございます。今回仮設住宅に入居されている、お母さん達が造ったサンマの飾り物(何と言えば良いか分かりませんが)を送ります。サンマは気仙沼市の魚で、仮設入居の皆さんが感謝の心を姿に表したいと考えてお送り致します(40匹)。御笑止下さい。

皆様の人情、温もり、これからもずーと、ずーと忘れません。
いつまでも、いつまでも。
立教セカンドステージ大学の皆様に有難うと申し上げます。

                     気仙沼 階上中学校住宅自治会
                        自治会長 菊田俊明


自治会長さんからのお手紙とサンマの飾り物


気仙沼に“春物・夏物衣類”のご協力を!
2012年3月21日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生)
RSSC同窓会 会員のみなさま
東日本大震災から1年が経ちました。前回みなさまの温かいご協力により気仙沼の仮設住宅に冬物衣類を送り、被災地のみなさまに喜ばれました。今回4月23日~26日4日間、春物・夏物衣類を集め、送る予定でおります。みなさまの気持ちを込めたご支援をお願いします。衣類はRSSCラウンジ 気仙沼春物・夏物衣類支援ボックスにお届け下さい。どうしてもラウンジに来られない時は宅急便送付(詳細下記)も出来ます。

詳しくはこちらのチラシを参照してください。

東日本大震災復興シンポジウムへの参加(3月11日)   小杉弘江(二期生)
3月11日は、千葉市主催の東日本大震災復興シンポジウム「東日本大震災から一年 - 3.11を忘れない!“復興と防災”」が千葉市文化センターで開催され、RSSCの仲間5名(女性4名、男性1名)が参加しました。

第一部では、岩手県大槌町「まごころ広場うすざわ」館長の臼澤良一さんの講演があり、自宅が津波に巻き込まれたご自身の壮絶な体験や被災地のその後の様子などを聞きました。臼澤さんは、被災直後から被災者支援のため遠野まごころネットとの協力で「まごころ広場うすざわ」を開設し、現在、被災者自らが考えるコミュニティ再生のために活動をされています。

その後、千葉市長熊谷俊人氏の名コーディネーターの下パネルディスカションもあり、臼澤さんから特に大事なこととして次のようなお話があり、強く心に残りました。

◆防災計画は平常時に策定されるが、東日本大震災のような想定外の災害に対しては、全く役に立たない。その証拠に、行政が指定した避難所に避難して多くの命が失われ、未だ、行方不明者が多数いること

◆震災直後は行政機能が麻痺し、隣近所の人々や被災者同士の助け合いで何とか凌げたこと
そういう意味から隣近所の人々の助け合い・繋がりが一番大事だということに気付かされこと

当日、中央公園に出店した遠野まごころネットのブースでは、メッセージを書いて下さる方、募金をして下さる方、また現地で手作りされた品物等を購入して下さる方たちで賑わい、我々もお揃いのTシャツで物販のお手伝いをさせていただきました。午後には熊谷市長も立ち寄って下さり、温かい励ましの言葉をかけて下さいました。

2時46分、居合わせた会場の皆さんで一分間の黙祷、その後手を繋ぎ人の輪を作って被災された方たちに追悼の意を表しましたが、改めてこれからも東日本大震災による犠牲者を忘れない、被災された方たちに心を寄せていきたいと思いました。

臼澤さん(右はじ)と熊谷市長(右から3人目) NPO法人遠野まごころネットのスタッフ
http://tonomagokoro.net/


“きよたひろこさま“から感謝の礼状と義捐金の提供がありました
2012年3月10日
RSSC同窓会会長
御守陽治(2期生)

1.先日開催された「きよた ひろこ 展」(詳細は修了生のページ参照)は盛況裡に終わり、きよたさまから皆様のご協力に対して感謝の礼状が寄せられましたので報告します。

RSSC同窓会のみなさま

2012年2月12日~18日の『きよた ひろこ 展』に際しましては大変お世話になりまして有難うございました。
大勢のみなさまにご高覧賜り、またご厚志を賜りまして誠に有難うございました。心より厚く御礼申し上げます。
―私にできること。絵一枚に願いをこめて―
☆☆☆東日本大震災(2011年3月11日)災害復興支援に向けてのお願い☆☆☆
もうすぐ1年になります。
一日も早い被災地の復興を心よりお祈りいたします。
東日本大震災の被災地の復興支援活動に少しでもお役立ていただきたいとの
思いから、油彩画の小品(F4号~F10号)をお売りいたします。
価格(絵の具代+額代+α)はご相談に応じます。

ギャラリーの片隅に上記のような一文を掲げさせていただき、一部の経費を除いた売上金を立教SSC同窓会を通じて、義捐金として寄付したいとの願いを僭越とは存じながら訴えました。
奇跡がおこりました。願いは叶えられたのです。皆様のおかげであります。小品はほぼ完売で、義捐金も予定額を上回りました。3月5日に皆様のお気持ちを無事同窓会の役員の方々に託することができました。本当に有難うございました。
ギャラリー青羅の方々、隣の画材屋誠美堂のご主人の言によりますと、ここ4,5年は例を見なかったほどのお客様の動員数であったとのことです。「立教の絆はすごい!さすがである!!」と驚かれておりました。
私も驚きました。それは立教の皆様がご家族連れが多かったことでした。本当に皆様のあたたかなお気持ちに感謝するばかりです。1週間がお祭りのように楽しく、皆様の美しい笑顔にあふれた皆様の展覧会でもあったように思えます。

ありがとうございました。
                                          きよた ひろこ
 2月12日 ギャラリー青羅にて

2.同窓会震災支援に対して多額な義捐金の提供がありました。

きよたさまから義捐金の申し出があり3月5日リビエラにて、きよたさま、「きよた ひろこ 展」にご協力を頂いた方々、同窓会役員が集まり義捐金を受けてまいりました。
同窓会と致しましては今後の震災支援活動に有効に使わせて頂きますと感謝申し上げました。災害復興に向けたきよたさまの願いに報いるべく、これからも被災地の皆様に役立てる支援を続けてゆきたいと思っております。
 3月5日 きよたさまを囲んで

「気仙沼」と「大槌」の被災地に3回支援物資を送りました
2012年2月16日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生)
昨年11月26日に同窓会有志の方々から冬物衣類の支援物資が寄せられ気仙沼階上中学校仮設住宅に送り、仮設にお住いの皆様に大変喜ばれ感謝のお便りを同窓会ホームページでも紹介致しました。その後年末と年始にかけて、寒い冬を凌げればと、有志の方々や関係者から支援物資が寄せられ3回に渡り被災地に送りまして御礼の手紙が届いておりますので報告します。前回報告分と合わせ合計段ボール56箱、物資は衣類を中心に1,021点になり、寒さに耐えておられる方々に少しでもお役に立てたらと願っております。

 第1回目 2011年10月21日  気仙沼階上仮設  07箱  衣類152点(報告済) 
 第2回目  2011年11月26日  気仙沼階上仮設  35箱  衣類613点(報告済)
 第3回目  2011年12月05日  気仙沼おひさま  01箱  毛布等17点
 第4回目  2011年12月13日  大槌まごころ広場  10箱  衣類毛布等199点
 第5回目  2012年02月14日  気仙沼階上仮設  03箱  衣類等40点

気仙沼のキッズルーム「おひさま」と大槌町のまごころ広場からのお礼の手紙を下記に紹介します。気仙沼階上中学校仮設住宅では暖かい春が来るのを待っておられることでしょうし、時期になりましたら気仙沼支援プロジェクトでは春物、夏物衣類等を送る計画を立てたいと存じておりますので、再度皆様のご支援ご協力をお願い申し上げる次第です。


ミニマフラー作成のお礼とご報告 (二期生 小杉弘江)
                                           2011.12.9
ささやかな被災地支援の一環として始めさせていただいたミニマフラー作りにつきましては、RSSC同窓会、受講生はじめご家族やご友人の皆様の温かいご協力をいただきまして、お陰様で最終的に198本にもなりました。
つきましては、12月2日までに下記のとおり岩手県、福島県、宮城県の各被災地の皆様に靴下、お手紙を添えてお送りしましたので、ここに改めてご報告申し上げます。

被災地の皆様からは「寒くなるので有難い!」「素敵なマフラーで感激、温かいお心遣いに感謝しています。」等々コメントをいただいております。 
これもひとえににRSSCの皆様の多大なるご支援、ご協力のお陰と心よりお礼申し上げます。どうも有り難うございました。

                  記

1.岩手県大槌町の仮設住宅の方へ    69本
2.福島県相馬市の被災者へ        37本
3.宮城県仙台市若林区の被災者へ    20本
4.宮城県気仙沼市の被災保育園     42本
    及び仮設住宅の方へ         30本 
                           198本

気仙沼に、立教の虹を見た(続報)
2011年12月9日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生)
仮設住宅自治会長の菊田様より御礼と感謝の手紙が届きましたので報告します。

御礼の挨拶
 私は気仙沼市立階上中学校住宅自治会の菊田敏明と申します。先日小野寺様御夫妻のご尽力のもと、立教セカンドステージ大学同窓会・気仙沼支援プロジェクト様からの支援品の数々を拝領いたしました。この皆様方からの御厚意に報いるためにも、過日11月26日に当自治会の皆様に、一人でも多くの方、又1枚でも多くの品を均等に配ることを目標にお分けいたしました。其の光景を仮設の小野寺敬子様から送付されていると思いますが、当日自治会の皆様の嬉しい姿をプロジェクトの皆様に御覧頂き、立教セカンドステージ大学同窓会の方々に感謝を申し上げます。
どうぞ支援プロジェクトの皆様に感謝しており有難うございますとお伝え下さい。
私共、一歩一歩前に進むことをお誓い申し上げます。まずは御礼の挨拶と致します。

        被災の地に、虹をみた
        立教の虹を見た
        めげず,にげず、くじけずに
        歩んでまいります。
                  階上中学校仮設住宅自治会長 菊田敏明

  ~~~~~~ 11月26日の仮設住宅情景 ~~~~~

仮設住宅(96戸)に均等に配られる 手編みの小杉マフラーを巻いてハイポーズ 自治会長挨拶

届いた支援衣料 皆さんに集まって頂きました 子供物もあります

気仙沼仮設住宅に冬物衣類を送りました(報告)
2011年11月26日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生)
去る11月14日RSSC同窓会員の皆様からお寄せ頂いた温かい冬物衣類を気仙沼の仮設住宅に送りましたので報告します。

仮設住宅の自治会長さんから「沢山の物資をいただき感謝いたします」とお礼の言葉が届いています。気仙沼ではいよいよ冬将軍が到来して、小雪の降るほどの寒さになっているようで、何とか冬物の衣類が間に合って良かったです。

皆様がRSSCラウンジに手持ちで届けて頂いた衣類は、女物、男物や子供用等心温まる物ばかりで被災された方々に少しでも寒さを凌いで頂こうとの思いが込められた物ばかりでした。厚手や薄手のコート、セーター、マフラーやスーツ等300点ほどが寄せられました。更にRSSC関係者の方からも同様な物資が届けられ総数600点余りで、合計段ボール箱35箱を送る事が出来ました。厚手の防寒コートも女物60着、男物40着、子供用50着ほどありました。仮設にお住まいの方は100所帯余りで、自治会長さんを中心に役員の方々が混乱の起きないように分配を考えて早々に仮設の皆様にお届けするとお聞きしております。又同窓会の何人かの方からは支援物資は持って来れないのでと義捐金の提供もあり、有難うございました。

これからも現地の方々と意見交換をして少しでもお役に立てればと考えておりますの、同窓会の皆様からの暖かいご支援の程宜しくお願い申し上げます。


『ミニマフラー編みをご一緒に』の活動報告 (2期生 小杉弘江)
紅葉真っ盛りの11月初旬、二期生の藤波さん、麻生さんと岩手県大槌町を訪問し、被災された皆さんたちと編み物をしながらの『おしゃべり&お茶会』をしてまいりましたので、ご報告させていただきます。

  (お誘いのちらし)

◆編み物&おしゃべり&お茶会
私たちは、仮設住宅に籠りがちな皆さんたちが、先ずは繋がるきっかけ作りとして編み物をしながら笑い声の聞こえる楽しい時間を過ごしいただけたらと考えました。そこで、大槌町まごころ広場館長の臼澤さんとご相談し、仮設住宅集会所での『おしゃべりしながらミニマフラーをご一緒に編みましょう!』という活動が実現しました。 お送りしたちらしは、私たちの到着前に現地のボランティアの方が仮設住宅(96戸)へのポスティングも済ませてくださっていて、助かりました。

2日間で延べ30名を超える方々がお見えになりましたが、ご参加くださった皆さん、実は私たちよりも手慣れていらして、お互いに助け合いながら真剣に時に笑い合いながらマフラーを仕上げておられました。「早く作りたくて夜も編んだのよ!」というお話しや可愛い小学生の参加もあり、ちょっと嬉しくなった3人でした。

「遠くから有難うね!」「また来てね!」などと逆に励ましのお言葉もいただき、改めて被災された方たちの優しさと思いやりの気持ちに触れさせていただきました。

現地では、支援を受けるだけではなく、皆さんが交流できる「まごころ広場」のほかに、最近では、仮設住宅の傍に「まごころの郷」が開設され、地域の方たちが主役となって運営しています。そこには、飲食ができるスペースがあり、一緒に野菜や花を育てることで土に触れる楽しさもあり、被災された皆さんの拠り所になっているようです。

おしゃべりしても、手は休めず! まごころの郷・交流広場

◆まごころ広場館長の臼澤さんのことば
 「私たちは住み慣れた所から離れるわけにはいかないのですから、新しい町づくり、地域づくり、里づくりをしようとするのであれば、また、それなりに夢が出てくると思うんです。そのためにも早く夢が咲くような種をまきたいですね。」『11/13のNHKスペシャル・東日本大震災「助かった命が なぜ」』 そして、人と人が交流することで、“孤独死だけは絶対出したくない”という強いメッセージも発せられています。 

◆遠野まごころネット
大阪から車で駆けつけ5月からずっとボランティアをされているシニアの男性は、「流されていく映像を見て、行くっきゃないと思った!」と、しかし当初1~2週間のつもりが、被災地を目の当たりにして「これは帰れないと思った。」と話されていました。長期ボランティアの方たちは、皆さん同じ思いで残られているようです。

また朝早く、遠野まごころネットの拠点である遠野市総合福祉センターの集合場所に行くと、若いボランティアの方も大勢いらして、朝礼のあと元気にそれぞれの持ち場行きのバスに乗り込んでいきました。復興にはまだまだ多くの助けが必要とされていますが、この災害から新たな絆が生まれ、きっと再生ができるのではと願い、これからも心を寄せていきたいと思っています。被災された皆さんのことは忘れません!

朝、集合したボランティアの皆さん それぞれの持ち場への出発風景

気仙沼に冬物衣類をお願いします!
このたび同窓会有志による「気仙沼支援プロジェクト」が発足し、気仙沼に支援物資を送っています。目に見える送り先として気仙沼の仮設住宅と津波で流された私設託児所「おひさま」の2カ所に、第1回目の10月21日に子供用毛布30枚、マフラー42枚、タオル70枚等々段ボール7箱を送りました。早速10月25日に「おひさま」の保母さんから携帯電話で写真を送ってくれ、この毛布で暖かく子供達が寝れましたと喜ばれました。


気仙沼からの連絡によりますと、この冬に向けて冬物衣類が不足し、どうやってこの寒さを凌ぐかが心配ですとの事で、至急第2回目の支援物資を送ります。つきましては、急なお願いで申し訳ございませんが、11月14日を予定しており、同窓会の皆様からの温かいご協力をお願い申し上げます。

1. 受付場所:RSSCラウンジ 気仙沼支援物資ボックス
2. 受付期間:11月8日(火)~11月11日(金)
3. 連絡先 :山田(2期生)、深野(2期生)、小杉(2期生)
4.希望支援物資:
  ・女性、男性用の防寒具
  ・セーター、トレーナー
  ・マフラー・女性、男性用の靴、ブーツ
  ・冬用の靴下、タイツ等
被災された方の着用を考えて新品 またはクリーニングした新品同様な品物にご配慮頂きたく存じます。

 尚別紙「チラシ」も合わせ御覧の程宜しくお願い申し上げます。
2011年10月28日
RSSC同窓会 気仙沼支援プロジェクト
代表 御守陽治(2期生

津波と大火災の被災地「気仙沼」を訪ねて (2期生 深野みどり)
1. 日時 2011年9月30日
2. 場所 宮城県気仙沼市 託児所「おひさま」他
3. 報告者 RSSC2期生 深野みどり

1.現地報告:
あの忌まわしい3月11日の震災から半年が過ぎた9月30日、私達RSSC2期生の4名(小杉、山田、御守、深野)は思い切って気仙沼にやってきました。
震災直後から知合いの法律事務所の奥様に支援の物資を送ってきましたが、メールのやり取り等から家を流された方や家族を亡くされた方で、今だ生活の目途もたたない人が多いと知らされ、現地を訪ねたいと思っておりました。
テレビや新聞などの報道から大津波やそれに続く大火災で大変な被災をされたと聞いてはおりましたが、気仙沼の港周辺を案内して貰い、現地を目の前で見ると驚きました。数本の鉄骨を残して跡形もなく流された建物や大きな船が陸地に乗り上げている光景は異常です。半年を過ぎても瓦礫は残っていますし、地盤沈下で水面より低くなっている土地は満潮時には海水が入ってきます。港周辺は地盤沈下で建物は建てられず再建計画も進んでいないそうです。

2.気仙沼の方との話:
法律事務所の奥様は自宅も被害に会われているにも拘わらず、非常に面倒見の良い方で、常日頃からもっとお困りの方の相談にのっておられ、この日4名の方をお呼びしてくれ、お会いして話を聞くことが出来ました。
自宅を流されて仮設住まいをしながらも、他の方の面倒をしておられる小野寺さん、幼稚園を津波で流され、亡くなられた園長先生の意志を継ぎながら頑張っている託児所の里見さんと幼児を預けているお母さん、それに自宅を流されて法律事務所で働くAさん、この方が現場を案内してくれました。里見さんと一緒に来られたお母さんはご家族を亡くされているので話の途中思い出されるのか時々ハンカチで涙を拭いているのが印象的でした。

3.託児所「おひさま」を訪問:
地震発生時、南気仙沼幼稚園の名物園長の小松さん(75歳)は100人の園児を高台に逃がした後、最後まで残り津波に流されて亡くなられたそうです。
この幼稚園は閉園しましたが、その意思を継いで小松さんの姪の里見さんや保母さんたち6名が、預け先に困った保護者たちの要望に応え、飲食店の倉庫を借りて託児所を開園し現在30名の子供をボランティアで預かっています。
私設なので公的援助が無くて(やっと助成費一人年4000円貰えたそうですが)机やいす、玩具などは各地の幼稚園や個人からの支援でやっているそうです。
子供たちは元気で走り回っていました。仮設の子供が多いので、昼間疲れる程走り回らせるのだそうです。何故なら夜中に起き泣いて仮設の人に迷惑が掛からないようぐっすり眠らせるためだそうです。こんな所まで気配り大変です。
里見さんはしっかり者で何とかこの託児所を続けてゆきますとの事で私達も出来るだけの応援をしたいと話しあっています。これから寒くなる季節を迎えて
昼寝用の毛布もないそうです。お金を頂いても買いに行く人手も無く、必要な物を現地に送ってあげた方が良さそうです。もし支援して下さればと、遠慮しながら何点かあげておられました。託児所の名前は「おひさま」。保母さんたちが悩んだ末に考えた名前だそうです。明るい子供たちに育って欲しいとの願いが込められています。
気仙沼の皆さんが「東京の方達が私たち被災者のことを忘れないでいてくださることが今は何よりも心強いし嬉しい」と話されていたのが忘れられません。


東北コミュニティの未来・志縁プロジェクト (2期生 住本勉)
フクシマ支援活動の最初は、佐野先生の呼びかけで3月に相馬市、南相馬市、飯舘村を訪問しました。それ以降、現地に足を運んできました。6月には、ゼミ長小杉さん達が、佐野ゼミとしての報告の場を設定していただき、佐野先生と一緒に報告をさせていただきました。その後、東北コミュニティの未来・志縁プロジェクトを本格化し、推進しています。
(共同代表;佐野先生、中山さん、 事務局長;住本さん(2期生 佐野ゼミ))

以下、住本さんからの報告です。

◆1:相馬市・南相馬市・飯舘村の概況

ご存知のように、放射能の線量レベルの違いで、行政の対応が分かれています。
・飯舘村(人口約8,200人)は全村避難
・市内が5区分に区別されている南相馬市(約71,000人)は、現在の在住人口は半分
・相馬市(約38,000人)は市長の籠城作戦で避難者は少ない
と違いはあるものの、住民の皆さんは、原発事故収束の見通しがはっきりしない中、放射能に怯えながらの自宅、避難先でのつらい生活を続けておられます。
3月に津波の現場を見て、その被害のあまりの大きさに言葉を失いました。そのすさまじい状況も、その後、がれきが片付いて、草が生え、伸びてきますと、悲惨な津波現場は、見かけ上は、風化が進んで、津波を感じさせない景色に変わってきています。海岸線から3㎞も入った内陸を南北に走っている基幹道路国道6号線沿いでも、船がごろごろ残っていなければ、これが津波の被災現場とはわからない状態です。

福島市⇔南相馬市間の移動では、住民が避難した飯舘村を走りますが、耕作の禁止された、無人の田んぼには草がぼうぼうと生い茂っています。これが、美しい村連合に参加している山紫水明の飯舘村の田園風景かと思うと、農家の方々の無念さ・悔しさを車で走る度に考えてしまいます。南相馬は、南のいわきま市まで、震災前は1時間の距離だったのが、原発のためにJR常磐線は止まり、常磐自動車道も遮断されて、今は、迂回しての3~4時間もかかるために南には行けず、また、西の飯舘村は全村避難しており、南相馬は今は、陸の孤島化状態になっています。
放射能汚染もあり、会社の支店、店舗の外部への移転が多く、経済活動に大きなダメージが出ています。

◆2:放射能被害
 (飯館村役場前の線量計)
3月31日午前、佐野先生と飯舘村災害対策本部に伺いましたが、、『飯舘村数値は、IAEA避難基準の2倍の値だ。11時の枝野記者会見を本部のみんなで見た。』という直後となり、村長以下の緊急会議の真っ最中でした。
現地は、一般の行政にも東電、国からの原発情報はなく、TVが情報源という事態がその後も続きました。こういう情報の断絶は、私には、まさに、江戸時代のお上の、知らしむべからず、依らしむべし、の情報構造が21世紀の現在もまかり通っているのか、と驚きました。(復興大臣辞任騒動時の大臣発言にも、これを思い出しました)

放射能という目に見えない汚染、そして放射線の人体への影響の医学面での不確実さ、さらに政府、東電の隠蔽事実の後出し・露見、等が複雑に重なり合って、この被害については、とても一つの見解には集約しないだろうことは、容易に想像されます。世界が、日本から輸出される工業製品の放射能汚染を危惧し、それを汚染していない証明書を付加して輸出している事実を、世界は心配し過ぎだ、誤解だ、と言い切れるか、という論と同じと言えるかもしれません。

フクシマの現地では、目に見えないが確実にまわりを覆っている放射能に、「我々はモルモットだ、実験台だ」との若者の発する言葉に、返す言葉を失います。若いお母さん方は、ひじょうにセンシティブで、子供の被曝を避けるべく、子供を連れて避難している家庭が目立ちます。先の見えない原発収束に、自らの自宅の被害(20km圏内のため、久しぶりに許可されて自宅に帰ったら、屋根に大きな穴が二つも開き、水浸しで、もう住めない状態だった)に耐えながら、教育現場の責任者(教頭)として頑張っているお話を伺い、本当に頭が下がります。
せめて原発収束がはっきり見えれば、精神的負担は少しは軽くなるのでしょうが...

放射能に関しましては、チュルノブイリの被害でも、まだ統一見解が出ていません。ご存知のように、放射能の人体への影響をどう考えるのか、で認識に大きな違いが出て、多様な見解が出ています。
例えば、外部被曝で
・年間1ミリシーベルトにすべきとの見解もあれば、
・100ミリシーベルトは、ご主人の喫煙での奥さんの受動喫煙程度で大きな問題ではない、
という見解もあります。
政府は、年間、20ミリシーベルトと規定しています。しかし、これに対しても、レントゲン写真撮影が50マイクロシーベルトだから年間、20ミリシーベルトは、年間400枚のレントゲン撮影に相当することから、登校した子供が(登校日が200日くらいだから)毎日、学校に行っては、2枚のレントゲン写真を撮って帰ってくる生活だ、という、お母さん方の不安の声が大きくなっています。ましてや、子供の被曝の人体影響度の感度は、大人の百倍、いや千倍という見解もあるため、お母さんたちの心配は大きくなっています。

除染活動もいろいろ行われ始めています。南相馬の人口の多い主要地域(20~30km圏)は、緊急時避難準備区域になっていますが、除染計画が策定されれば、解除するとの方針が示されており、近く、解除になるのでは、と言われています。これは、経済活動では制約がなくなることでプラスになる半面、人体の健康面では、他の地域並みの扱いになり、国、東電のサポートが弱まる心配もあります。
そもそも、除染とは、どのレベルまでの除染を行なうのか、上記の、1ミリシーベルト~20ミリシーベルト~ 100ミリシーベルトの見解の違いがあるように、考え方は統一的ではないと思います。
また、南相馬市では除染マニュアルができていますが、地元の方々には、何も悪いことをしていない我々が、なぜ自分で除染をやらないといけないのか、という大きな不満が横たわっています。
健康、経済復興、国・東電の財務体力の要素が複雑に絡みあいます。除染の先の姿としての、復興後のあるべき姿は、それぞれの自治体では、まだまだ検討途上ですし...
こういう目に見えない放射能被害では、その線量測定を、地点であれ、物であれ、もちろん人体にも、タイムリーに正しく行うことが、何よりも最重要だと思っていますが、実現できていないのが悲しい現実です。

◆3:志縁プロジェクトの活動
この活動は、
『地震・津波からの復興と原発被害の克服に向けて語り合い、震災前より更にいい地域にしていくための対話の場づくりを支援する。そして自然と調和し、健康で幸福に生きられる持続可能な地域の復興ビジョンを住民主体で描き、地域行政と協働しながらその実現に向けてアクションを形成していくプロセスを支援する。』
現在、現地ではカフェを実施しながら、一方では、
・被災された女性たちの働く場づくりの支援―
ミシンを工場ごと流された方々へのミシンの支援で工場が再スタートした
・放射能の除染の実験支援
などの活動もしております。
原発のリスクを現地に押しつけておいて、当然のように安定した電力という果実だけを享受してきた我々首都圏の住民として、現地の方々に少しでもお役にたてれば、との思いを持って活動しております。
桜風カフェ 縫製工場の支援

活動は未来・志縁プロジェクトホームページにて紹介いたしております。
http://sites.miraishien.com/

最後になりましたが、もし可能でしたら、皆さまからご支援を賜れないかとも思っております。勝手なお願いで誠に恐縮ですが、少しでもご検討いただければ幸いです。
「ご支援のお願い」ボタンを押して、お申し込みください。

**写真は全て、未来・志縁プロジェクトのホームページより拝借いたしました**

原発避難のお母さんたちに支援物資を届ける (2期生 御守陽治)
1.日時: 2011年8月11日
2.場所: 福島県郡山市ビッグパレットふくしま
3.届け先: 避難中の富岡町のお母さんたち
4.報告者: RSSC 2期生 御守陽治

状況報告:
郡山市にお住いで知合いの元校長先生から、原発20KM 内避難地域の富岡町と川内村から約2,000名の方々が「郡山のビッグパレットふくしま」に避難して大変だと連絡がありました。3月11日の震災発生から数日後の3月15日、町民は緊急に避難してくれとの役場からの連絡で身の回りの物だけを持って移って来たそうです。普段はイベント等に使われる大きな会場ですが、当時は足の踏み場もない程、多くの人が避難してコンクリートの床の上に段ボールや毛布を引いただけで寝泊りを余儀なくされたようです。元校長先生はご夫妻で、自宅が半壊したにも関わらず、炊き出しなどのお世話をしたそうです。8月11日に訪問した時には、皆さんは仮設住宅や借上住宅に移り150名程がおりました。
避難所:プライベート保護の紙の仕切り 避難所:富岡町の臨時窓口

その後元校長先生の奥様を中心としたコミュニティが出来、仮設住宅や借上住宅に移った後も皆さんの相談にのってきており、現在日用品が不足しているので、もし支援が可能ならばお願いしたいとの要請がありました。皆さんのお宅は無傷であっても、立ち入り出来ないので物を取りに行けないそうです。これまでに唯一度だけ一家に一人の制限つきで帰宅が許されたが、大きな物は持ちせずほとんど残しているそうです。しかも家は人が住まないため、家具は使い物にならないだろうとのことです。

その話を聞いて、東京では若いお母さんたちのサークルが支援物資を集めて、私も運転手を兼ね8月11日昼に現地で物資を直接届けました。物資は夏物衣類、女性用の鞄、ヤカンや茶碗等食器、おもちゃ、殺虫剤などの実用品です。避難所やお届けした状況は写真をご覧になって下さい。福島県は地震津波の被害より原発被害が大きくて、避難した人だけでなく郡山市の人も放射能がどうなるか、特に子供たちにどんな影響が出るかを心配しながら生活しています。
 お母さん方に直接お渡しました
最後に、この支援物資にお母さんたちは大変喜んで頂きましたし、今後も継続した支援を約束して帰京しました。8月31日この避難所は閉鎖となりましたが、仮設のお母さんたちはまだ自宅に戻れません。

被災地訪問のご報告  (2期生 小杉弘江)
この度の大震災に対し、見かけによらず体力に自信のない私にも何かできることがあるのだろうか?その答えを探しに7月中旬思い切って仙台まで出かけてみた。
ご一緒したのは、藤波さんと麻生さん、お二人はその足で遠野に行かれ、北澤さんと小杉は日帰りという二期生4人の東北被災地訪問であった。

訪問先1:六郷市民センター(仙台市若林区の避難所)
応対して下さった方は、自営の工場・自宅を全て流されたという若い渡辺さん(女性)。仙台市から臨時職員として委嘱され、被災者のお世話をされていた。津波の体験をお話し下さっているうちに、渡辺さんの目から涙があふれ「まだ2時間以上眠れないんです。怖くて」「目の前を流されていく人を助けることもできなくて・・・」我々は無言でお聞きする以外術がなかったのである。
避難所の子どもたちにお菓子、果物、ウチワ、タオルなどを持参した。その後、近くの仮設住宅にもお邪魔したが、皆さん部屋に籠って余り出てこられないとのことであった。お世話されている細谷さん(男性)は座るヒマもない程忙しく立ち働いておられ、「仮設住宅に入るとお年寄りは孤独、でも東北人の気質として自分からは余り話さない、でも本当は話しを聞いて欲しいと思っている」などお聞きした。

訪問先2:あしなが育英会東北事務所
5月に二期の会とウィメンズクラブ共催で開催したチャリティ公開講演会「放射線の人体影響」の義捐金の送り先であるあしなが育英会東北事務所を訪問震災遺児のためのレインボーハウス作りの進捗状況について伺ったが、丁度この日は午前中育英会の会長が来られ、建設候補地の視察をされたようである。
概ね順調に進んでいて、来年の完成を目指しているとのことであった。仙台市内に立派な事務所も開設され、多くの企業の賛同も得られているようで、長い間にわたる支援活動の歴史と地道な実績が実を結んでいると感じた。

(津波の襲った若林区の海沿いの町) (避難所・六郷市民センターの中)

一緒にミニマフラーを作って下さる方いらっしゃいませんか?

暑かった夏も終わると、東北地方には急に寒さがやってきます。せめて、被災地の方の首回りが暖かくなればとの思いで、編んだり解いたりしながら、試行錯誤のミニマフラー作りに取り組んでいます。
実は、編み物は全くの素人ですので、長編みと鎖編みのみで作っています。40g程度の一巻きの毛糸で丁度一本作ることができ、簡単です(私は8号のかぎ針使用)。しかしながら、気が付いたら、編んでいる自分自身がとても癒されていました。

<作り方>
15目で立ち上がり、長編みで裏表順に80センチ程度編む。縁に鎖編みで飾りを付ければ出来上がり。マフラーを止めるため、二重に編む(A)、穴空き(B)にしましたが、他の方法でも勿論結構です。かぎ針何号でも、毛糸の色、種類、太さは問いません。

二重編み(A) 穴空き(B)

100本作って、10月中旬にでも被災地にお届け出来たらと思っております。もしご協力いただける方がいらっしゃいましたら、小杉までお知らせいただけると幸いです。

被災地支援 -それぞれができることは-  (2期生 麻生恵美子)
はじめに
日常のありふれた光景が何もかも消えてしまったあの日から6ヶ月余り・・・ニュース映像や新聞等の報道に接する度にただただ涙するしかなかった。映像も直視できなくなっていた。「自分はこんな生活をしていていいのかしら?」「自分に出来ることはないか・・・」と焦燥感にかられる日々であったが、とりあえずは募金することで心を落ち着かせていた。

そんなある日、同じゼミの友人からゼミ生へメールが入った。今では広く知れわたっている岩手県遠野市の「遠野まごころネット」での体験記が寄せられた。現地で見たこと、行ったこと、感じたことは体験記というより悲痛な叫びのように思えた。その素早い行動力と優しさに後押しされ、わたしも下記のような取り組みをしている。その一端をメールのやり取りから皆様にお伝えできれば幸いである。

これまでのささやかな活動
* 日赤・あしなが遺児育英会・東日本大震災被災青年支援金基金の会等への募金
* 被災地訪問;仙台市若林区六郷市民センター、あしなが育英会東北事務所
* 遠野まごころネット「まごころ広場」「かけはし広場」でのボランティア
* ささやかな物資や季節のフルーツ輸送(千葉産メロン、スイカ、梨、ブドウ)
* 「たちあがれ!ど真ん中・おおつち」大槌町水産業者プロジェクト支援
* 9.11チャリティデイ&祈りの集いのイベント協力(秋冬物洋服提供・バザー参加) 
* 東日本大震災特別講座聴講
* 遠野まごころネット「6ヶ月報告会」参加
* 知人・友人・家族への情報発信

大槌町まごころ広場・かけはし広場での体験
① 麻生~佐野ゼミ2期生や知人・友人へ
ところで、東日本大震災の被災地支援は其々の立場でなされていることと思います。
7月中旬に同行の藤波さんやボランティアと共にまごころ広場(大槌町)で支援活動をしました。釜石~大槌の被災地を目の当たりにして言葉を失い絶句です。筆舌に尽くしがたいとは正にこの状況です。皆さんが想像するような瓦礫の撤去ではなく、どなたでもできる活動です。

被災者の方々とお話をしてきました。行く前に、新品ではない扇風機と洗濯した夏服、メロンを送って喜ばれました。被災した方の何でも欲しいのよ・・・みんな流されたんだもの・・・という言葉が耳に残っています。女性ならバッグや靴もいいかなと思いました。2期生の仲間がハエ取りリボンを送ったように個人レベルでの支援やボランティアが出来るのがまごころ広場の特徴かもしれません。
まごころ広場館長の臼澤さんには、ご多忙の中丁重にお話をしていただき、感動と感謝で涙が出ました。まごころ広場の理念を理解し、共感しました。

仮設住宅への入居が進み、避難所が次々に閉鎖されています。仮設住宅の方には家電製品6点が支給されますが、壊れた自宅に住んでいる方は何もかにも不足して不便な生活を強いられているようです。「タオル、タオルケット、古くても使えるミシン、冷蔵庫や洗濯機があれば助かる・・・」とのことでした。周囲の人々に情報を伝えていきたいと思います。何かしてくださいではなく、情報を伝えることが大切かと思います。
被災地のナマの現状を発信するのもボランティア活動だと思いますし、直接被災地とつながる感覚も大切なのではないかとメールさせていただきました。仮設住宅への入居が進んだ後の支援プランも出来上がって本格的な作業に入る日も近そうです。7月20日にはまごころ新聞がアップされるそうです。
事業担当の方からご丁寧にお礼の電話がありました。直近の情報として、仮設にお住まいでも買い物難民が増加しているそうです。買い物が不便のようです。お店や郵便局が近くにないのはもちろん少なかったり、交通手段がなかったりするんでしょうね・・・

② 動物公園ボランティアの仲間~麻生へ
震災以来、町長不在であった大槌町も選挙が行われ、新町長が誕生しました。ただ、これを報ずるテレビの画像から未だ復旧が遅れ、苦しんでいる大槌町の現状が映し出され心が痛みます。ともあれ新町長&新町議員誕生で地元自治体の体制が整備され、一方野田新総理誕生で、大槌町の復旧・復興対策も加速される事が期待されます。麻生さんの支援されている“まごころの郷”HPをヤフーお気に入りに登録しました。時折覗いてみます。麻生さんのおっしゃった“情報発信も大切なボランティアの仕事かな・・・と思います”に私も触発され、先週末高校時代の仲間10名の集まりで紹介しました。今週も親戚・友人に発信。

長女直子のプロジェクトもHPを開いてみてご検討いただければ幸いです。このプロジェクトがロングランで成功するように親としても支援していくと共に見守っていきます。麻生さんのお友達にもご紹介いただければ幸甚です。
東日本大震災被災青年支援奨学金基金の会
http://www.okikobo.com/  Twitter: @okikobo3
〔たちあがれ!ど真ん中・おおつち〕HPを今開きましたら23日現在3133口集まっているそうです。また〔応援メッセージ〕の欄を開きましたら私の送信した申し込み欄記載のメッセージが、二番目に下記のとおり原文のまま掲載されましたので、運営もしっかりしており、応援のし甲斐があると共に直接現地と自分がつながり、サポートが役に立っている感じでうれしく思います。
 『甚大な人的・物的被害を受けられたなか、復興目指して、不屈の精神で立ち上がられた皆様の勇気と行動に敬意を表します。どうか前途に希望を抱き、いかなる苦難も乗り越え、力強く再生されますよう祈念しております。ささやかですが応援させていただきます。新巻鮭は、完全に復活の目処がつき余裕ができた段階で結構です。その時を楽しみにお待ちしております。』

③ 地元での情報発信
まごころ広場で大勢の方々と話しました。その際、50代の息子さんが津波にのまれまだ見つかっていない方が「ミシンを使って仕事をしていたけど流されてしまって・・・ミシンさえあれば没頭できて気がまぎれるので、息子のことも―」と話されました。
  【雑貨店に掲示されたチラシ】
千葉に戻り、地元の駅前の雑貨店さんに話したら、早速店頭に右記のような掲示をしました。そして数日後ミシンの提供者がいらっしゃいました。他にも数名の方が記載されていた品物を店に持ち込みました。店長とわたしは感激しながら荷造りをして、大槌町のまごころ広場に送りました。小さな支援の輪が広がった気がします。

おわりに
まごころ広場館長の臼澤さんは、震災から学んだこととして、価値観の変化
 ・救援物資の量よりも、人の心
 ・形のある物よりも、形の無い物
宮沢賢治の「雨にもマケズ」・・・ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ の2点を力説なさっていた。
また地域のコミュニティづくりは、地元の人が主体となることでありボランティアは黒子に徹すべきと強調された。人と人との繋がりや仮設住宅の間をつなぐ郷の存在として「まごころ広場」から「まごころの郷」へと進化させている。ここでも臼澤ガールズと呼ばれる仮設入居者の方々が運営・管理をしている。10月を目途にまごころの郷を訪ねたい。臼澤ガールズのサポーターとして・・・ご一緒しませんか

ボランティアをすることによって様々な経験をし、充実感や人の役に立つことで感謝されたり、喜びを実感したりする。それは自信を持つことにもなる。しかし、技能や資格がないわたしのような普通の人にも出来ることがある。それは何かをしたいというその気持ち;人の心こそ尊いと思う。

フッターイメージ